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箸中ロマン古墳ウオーク

3月10日箸中ロマン古墳ウオークに参加した。箸墓を中心とした近隣の古墳を歩くイベントだが、1000人を超える応募が殺到して1日で終える予定が2日間実施された。1日100名で計200名しか参加できない。運よく抽選で当たった幸運の一人である。古墳ウオーク雨模様の天気にもかかわらず大勢の方がこられた。人気の秘密は箸墓には大池があるが、その水をすべて抜き取って箸墓をまじかで見られるのである。墳丘の端には葺石が敷き詰められていたがその辺りを歩くことが出来た。ばらばらになった葺石が見られ、この葺石は二上山から取ってきたものらしい。1800年近くになる遺産だ。じっくり観察した後、地図の通り堂ノ後古墳・ホケノ古墳・馬塚古墳・千原大墓古墳を福辻講師(桜井市教育委員会)の説明を聞きながら回った。12時に午後から予定の講演会場「慶運寺」で昼食を取らせていただいた。13時から講演が始まり15時半で終了した。古墳ファンが大変満足した一日と思えた。町中の方が我々の接待をしてくださりこのイベントの意気込みを感じた。箸中の区長さんがおっしゃていたが、またやりたいとの事。箸中の皆様の奮闘を期待します。

s-箸墓[箸墓古墳]
全長272mの前方後円墳。『日本書紀』には、倭迹々日百襲姫命の墓で崇神天皇のころの築造と記されている。昼は人、夜は神が造ったという言い伝えがある。姫命は崇神天皇の祖父の妹で、三輪山の神、大物主の妻となった人物。夜しか訪れなかった神は、姫命の願いを聞き入れ朝まで泊まったが、その姿は蛇と化していたという。姫命が驚き騒いだために愛想をつかして神が帰ると、後悔した姫命はハシで陰部を突いて自害したと伝えられ、そこから「箸墓」と名付けられた。卑弥呼の墓とする説もある。

s-ホケノ山古墳[ホケノ古墳]
 ホケノ山古墳は全長約80㍍、後円部径約60㍍の前方後円墳である。墳丘には丁寧に葺石(ふきいし)が葺かれ、段築があることも判明した。
 後円部中央の埋葬施設は、川原石を積んで壁をつくり、木材で上部を塞いだ木蓋(もくがい)の石槨(せっかく)部分と、その内側に設けられた木槨部分からなる二重槨であった。このような重槨構造は、従来全く知られていなかったものである。木槨部分は長さ約6.5㍍、幅約2.6㍍の大規模なもので、内部に長大なコウヤマキ製の舟形木棺を納める。槨の上部には装飾をほどこした壺(つぼ)形土器が配列され、木部の腐朽にともなって槨内に落ち込んでいた。
 過去に部分的な盗掘を受けていたが、完形で副葬された画文帯同向式神獣鏡一面のほか、意図的に打ち割られた画文帯神獣鏡、内行花文鏡などの破片23点、多数の銅鏃(どうぞく)、鉄鏃・刀剣類・工具類などの鉄製品が出土した。これらを総合して、その造営年代は3世紀中葉と判断されている。

s-千原大墓古墳[千原大墓古墳] 桜井市茅原に所在する帆立貝式前方後円墳で復元長は全長約86m、後円部径約72m、高さ約9m、前方部長さ約15m、高さ約1mで埴輪及び葺石を持つ古墳だ。墳丘の調査での出土遺物は円筒埴輪、朝顔形埴輪、きぬがさ型埴輪,壺形埴輪などがあるが、特に第4次調査で発見された日本最古級の人物埴輪は大きな話題となった。人の形を模した「盾持人埴輪」で、墳丘東側のくびれ部付近に流れ落ちた状態で発見された。この盾持人埴輪は、邪悪なものから古墳を守るため、古墳外縁部に置かれたと思われる。被葬者は地元では、倭佐保姫の御陵として言い伝えられている。

s-箸墓大池

箸墓大池

s-箸墓墳丘端

箸墓墳丘端


s-葺石

葺石

s-福辻講師

福辻講師


s-慶運寺Ⅱ

慶運寺


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コメント

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箸中ウォーク私も行きました。ある種の雰囲気をまとった古墳マニアの群れが、真剣な眼差しで古墳の縁や地形を見つめていましたね!申込開始初日で満員札止め、8倍から9倍の参加希望者を集めたこの企画、今後も次々とうち出し、同じ様に数倍の申込みが続いたら、桜井市箸中区は本当に宮内庁に殴り込みをかけられそうな雰囲気です。日本の考古学の為、古墳を開放して!と。いや、古墳マニアはそうではないかもしれません。そっとしておいてほしい、ロマンを壊さないで!今後も注目したい箸墓古墳です。
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