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第9回てんとう虫の会

10月29日第9回てんとう虫の会があった。10時京都蹴上駅で集合した。参加者は13名、幹事は山根さんと柳田さんだ。まず蹴上インクラインへ行った。駅から歩いてすぐの所にある。昔は船を引っ張り川上に移動させていたらしい。線路が残っていて趣がある。次に南禅寺に行った。京都らしい町角を見ながら水路閣で記念写真を一枚無鄰庵を見学した。入場料410円。山県有朋の別荘だったとの事。立派な庭があった。蹴上駅から二条城駅に行って、「喜bun上jou」という店で昼食を摂った。近況報告などをして14時になった。その後神泉苑や御所を散策して行程を終えた。御所で迎賓館を見学したい人がいたので、そこで解散した。目的は紅葉狩りであったが少し時期が早く今一であった。

s-びわ湖疎水船[びわ湖疎水船]
明治23年(1890年)の開削後、琵琶湖疏水における舟運(通船)の利用が開始され、旅客船のピークである 明治28年(1895年)には年間30万人、運搬船のピークである大正14年(1925年)には年間22万トンもの資材が 行き交うなど、数十年にわたって旅客・貨物とも大いに利用された。しかしながら、自動車や鉄道等の急速な発達に伴い、舟運は、徐々にその数を減らし、昭和26年(1951年)9月に大津から山科まで4.5トンの砂を輸送したのを最後にその姿を消した。以来、琵琶湖疏水における舟運の復活を望む声は幾度となく挙がり平成27年(2015年)春に滋賀県大津市から京都市・蹴上までの約7.8kmの区間において、のべ16日間の「琵琶湖疏水通船復活」試行事業を実施し、64年振りに琵琶湖疏水における舟運を復活させることができた。

s-蹴上インクラインⅡ[蹴上インクライン]
南禅寺の近くにあり、全長582mの世界最長の傾斜鉄道跡で、高低差約36メートルの琵琶湖疏水の急斜面で、船を運航するために敷設された傾斜鉄道の跡地だ。線路沿いにはソメイヨシノやヤマザクラが植えられており、春には満開の桜並木の中、線路内を歩いて観賞することができる。

s-最勝院[最勝院]
南禅寺の東に、南禅寺塔頭の駒ヶ瀧最勝院(こまがたき さいしょういん)はある。境内背後の東山山峡は、鎌倉時代より「神仙佳境」と呼ばれ、霊地として知られていたという。臨済宗南禅寺派。古くより勝運の神として知られた。創建、変遷の詳細は不明。鎌倉時代、天台密教の駒道智大僧正が、この地に隠棲したことに始まるという。鎌倉時代末期、文永年間(1264-1275)、第90代・亀山天皇は、この地に離宮を営んだ。その際に、僧正を土地の鎮守として祀ったという。さらに、離宮を禅寺に改め、南禅寺の基を開いた際に、僧正を護法神として祀ったという.。紅葉の庭園は有名。

s-神泉苑[神泉苑]
東寺真言宗の寺院。本尊は聖観音・不動明王・弘法大師。二条城の南に位置し、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。境内に「恵方社」として「大歳神:歳徳神(としとくじん)」を祀るが毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きを変える点が他の神社仏閣と異なる(日本国内で毎年向きを変える「大歳神」は唯一ここだけに見られる祀り方であると伝えられる)。

s-無鄰庵Ⅱ[無鄰庵]
山縣有朋の別邸、南禅寺のすぐ西側、琵琶湖疏水のほとりにある。南禅寺界隈別荘の一つ。敷地は三角形の形状で、広さ約3100平方メートル。現在は1941年に寄贈されて京都市が管理している。その庭園は1951年(昭和26年)6月9日、国の名勝に指定された。 数寄屋造りの母屋、藪内流燕庵写しの茶室、煉瓦造り二階建て洋館、および広い日本庭園からなる。山縣は明治25年ごろから準備を始め、1894年(明治27年)に造営に着手、明治29年完成。洋館の設計は新家孝正で明治31年に竣工。

s-拾翠亭[拾翠亭]
九條池と拾翠亭は、五摂家の一つであった九條家の屋敷内に設けられた庭園の遺構だ。このうち、拾翠亭は今から200年ほど前の江戸時代後期に別邸として建てられたもので、遊び心にあふれた建築と言われている。今でもお茶会等に利用されている他、春から秋にかけての毎週金曜日と土曜日に一般公開されている。拾翠亭の前面に広がる池は九條池と呼ばれており、安永7年(1778年)頃、東山を借景とし、拾翠亭からの眺めを第一につくられたといわれている。
s-蹴上水路閣

蹴上水路閣

s-蹴上発電所導水管

蹴上発電所導水管


s-無鄰庵

無鄰庵庭園


s-無鄰庵Ⅲ

無鄰庵洋館


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