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大和長寿道

10月12日10時JR桜井駅に集合して大和長寿道を散策した。ルートは下記の通りで、9.7kmの道のりだ。
散策ルート: 桜井駅~安倍文珠院(拝観・トイレ)~安倍寺跡(トイレ)~稚桜神社~みずし観音~万葉の森(昼食・トイレ)~天香久山(見るだけ)~公衆トイレ~藤原京跡(トイレ)~おふさ観音~畝傍駅(解散)
ボケ封じの道として知られているが、古来は延命長寿とされており、安倍文殊院とおふさ観音の両寺をお参りして効き目があると言われている。秋が訪れ涼しくなり、清々しい気分で散策が出来た。文殊院の国宝「渡海文殊」は快慶作ではじめて現物を見て感動した。
抹茶付きで和尚の説法を拝聴した。面白く話しされ退屈しなかった。おふさ観音では名前の由来を聞いた。藤原宮を通ったが、多くのコスモスが綺麗に咲いていた。

*渡海文殊はインターネットから引用
国宝 渡海文殊(とかいもんじゅ)

国宝 渡海文殊


s-安倍文殊院[安倍文殊院]
孝徳天皇の勅願によって大化改新の時に、左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が安倍一族の氏寺として建立したのが「安倍山崇敬寺文殊院」(安倍寺)である。大化元年(西紀645)倉梯麻呂が創建した安倍寺(崇敬寺)は、現在の寺の南西300メートルの地に法隆寺式伽藍配置による大寺院として栄えていた。鎌倉時代現地に移転後も、大和十五大寺の一つとして栄え嘉吉元年(1441)この興福寺官務牒疏には当時なお二十八坊の存在が記されており、寺運はなかなか隆盛であったが、永禄六年(1563)二月松永弾正の為に兵火に会い一山ほとんど鳥有に帰する災を受け、その後寛文五年(1665)四月に到って本堂(文殊堂)と礼堂を再建されたのである。現在の本堂は即ちこれで、人母屋造本瓦茸七間四面の建物で前に礼堂(能楽舞台)を従えている。 本堂の右に釈迦堂、左に大師堂、本坊、庫裡が並ぴ庭園を隔てて方丈客殿につらなっている。

s-天香山神社
[天香山神社]
天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)の祭神は、櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)である。
境内にある「朱桜」(にわざくら)という古名で知られる「波波架の木」(ははかのき)は、その昔、占いに用いられたと言われている。
「古事記」の天岩戸神話(あまのいわとしんわ)には、天香具山(あまのかぐやま)の雄鹿の骨を抜きとって「朱桜」の木の皮で焼き、吉凶を占ったとある。

s-おふさ観音
[おふさ観音]
おふさ観音は、高野山真言宗・別格本山のお寺である。その本堂が建つ辺り一帯は、かつて「鯉ヶ淵(こいがふち)」と呼ばれる、大きな池であった。時は慶安3年(1650)4月、ある日の早朝のこと。この地で暮らす「おふさ」という娘さんが、鯉ヶ淵のそばを歩いていると、白い亀の背中に乗った観音様が、目の前に現れた。おふささんは、池のそばに小さなお堂を建て、そこに観音様をおまつりすることにした。その観音様は、色々なお願い事をかなえてくださるとして、近くの村人たちに厚く信仰され、大切にまつられた。やがて誰からともなく「おふさ観音」と呼ばれるようになったといわれている。

s-安倍文殊院金閣浮御堂

安倍文殊院金閣浮御堂

s-安倍文殊院西古墳

安倍文殊院西古墳


s-藤原宮から見る耳成山

藤原宮から見る耳成山

s-勧請縄

勧請縄


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