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片埜神社から百済神社を訪ねて

1月31日枚方地区の歴史文化を求めて、ガイドさんから説明を受けながら巡った。コースは以下の通りだ。
らんぱん公園―片埜神社―牧野公園――九頭神廃寺跡― 車塚公園(防災公園)―牧野車塚古墳(昼食・トイレ)―渚の院跡―御殿山神社(階段多い) ―御殿山生涯学習美術センター(トイレ)-土塁跡(禁野火薬庫)―平和ロード―百済寺跡 ―百済王神社
枚方は大きな街であるが、歴史は残っており、これからも子孫に受け継いでいくことが大事だと思った。百済寺が大阪城に並んで特別遺跡になっているのは知らなかった。7.5kmほど歩いて結構疲れた。14時半解散

s-片埜神社本殿 大阪府有形文化財

[片埜神社]

当社は「延喜式」神名帳に載る式内小社で、その縁起は約2000年前、垂仁天皇の御代に出雲国の豪族野見宿禰が当麻蹴速との相撲に勝ち、その恩賞に河内国を拝領し、出雲の祖神速須佐之男命を奉祀して土師氏の鎮守としたのを草創とする。
その後、欽明天皇(在位:539~71年)の勅願をもって「片野神社」と称し、960年(天徳4年)野見宿禰の後裔である菅原道真を併祀している。 平安時代は官幣社として社運隆盛を極めたが、戦国の争乱で幾度かの兵火に遭い荒廃していたのを、豊臣秀吉が大坂城築城の際に、大坂の東北にあたる当社を錦城の鬼門鎮護の社と定め修築、1602年(慶長7年)には豊臣秀頼が片桐旦元に命じ、本殿、南門、経堂、別当坊舎などを修築、造営した。 江戸時代は専ら「(河内)一之宮」、「一宮牛頭天王」と称し、 河内国北部地方における鬼門方除け・家相方位の守護に霊験あらたかな神様として広く知られ崇敬を集めた。片埜神社の社名が復活したのは明治以降である。

s-百済寺跡

百済寺跡

中宮にある特別史跡百済寺跡は、8世紀後半に百済王の末裔である百済王氏(くだらのこにきしし)が、難波からこの地に移り、一族の氏寺として建立した寺跡と考えられている。昭和16年に国の史跡に指定され、昭和27年3月に特別史跡となった。府下で大坂城跡とならぶ特別史跡でありながら、老松や雑木が繁って立ち入る人もなく、熊笹の合間に礎石が見られる荒廃ぶりだったが、全国でも初めての史跡公園として、昭和41年から2年間かけて市民の憩いの広場に整備された。
寺院の遺構が復原された公園には、礎石などがよく残り、双塔式の美しい伽藍配置を浮き立たせ、金堂にとりつく回廊跡には灌木が植えられ、四季折々の風情が訪ねる人に潤いを与えている。自然の老松や補植された黒松・赤松が濃い緑で遺構を包んでおり、松の梢をわたる風は、訪れる人々に、ありし日の七堂伽藍の面影を語りかけるようだ。平成17年度から百済寺跡再整備のための発掘調査が行われ、官寺的施設を備えた格式高い寺であることがわかってきた。

s-阿弖流為の碑 牧野公園

阿弖流為の碑 牧野公園

s-御殿山神社本殿

御殿山神社本殿


s-渚の院跡

渚の院跡

s-片埜神社東門 府指定文化財

片埜神社東門 府指定文化財


s-蟇股彫刻 太閤桐

片埜神社蟇股彫刻 太閤桐

s-百済王神社

百済王神社


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