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聖徳太子ゆかりの勝軍寺を訪ねて

1月22日近場の八尾をガイドさんに案内してもらった。八尾は物部氏の地元であり、仏教伝来をめぐり、崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋が対立、戦争を起こした。そのあたりに興味があり話を聞きたくてお願いした。八尾駅に13時スタートして16時前まで案内頂いた。渋川廃寺・跡部銅鐸出土地・植松村の常夜灯・大門地蔵・渋川神社など回ったが、本命は大聖勝軍寺だ。寺内には本堂・毘沙門天堂・神妙椋樹・平和塔・一願不動・地蔵堂など多くの見どころがあり、中でも巨大な太子画は凄い聖徳太子と言えば法隆寺や四天王寺が有名だが、こちらは全く知らなかった。勉強になった。
s-大聖勝軍寺 太子堂[神妙椋樹山大聖勝軍寺]
仏教伝来をめぐり、崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋が対立、守屋の本拠(渋川の館)を中心に、河内一円を鮮血で染める激戦となった。用明天皇の命に従い、馬子とともに仏教を広めようとしていた当時十六歳の聖徳太子は自ら兵を率いて参戦する。しかし強大な兵力を誇る守屋の前に三度敗退、大軍に包囲され絶体絶命の窮地に陥りました。まさにそのとき椋の大木が真っ二つに割れ、その幹の空洞に身を潜めた太子は九死に一生を得る。起死回生を誓った太子は恩樹椋の木で自身十六歳の像を刻み、自ら黒髪を断ち切り植髪した。そして椋の木を取り巻くように茂っていた白膠木で四天王の像を刻み、馬子以下四大臣を四天王に見立てて各々頭髪に戴かしめ、必勝の誓願をたて、ついに守屋を倒したのだ。物部守屋の首と遺躰は二つの塚にわけて葬り、丁重に供養された。

s-聖徳太子と四天王像

聖徳太子像と四天王像

s-聖徳太子画

聖徳太子画


s-菩薩半跏思惟像

菩薩半跏思惟像 大阪府指定文化財

s-物部守屋墳

物部守屋墳


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