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「てんとう虫の会」平野郷巡り

11月11日てんとう虫の会のイベントに参加した。13人が10時平野駅に集まった。本日の幹事はOさんとIさんで平野郷を巡って昼はがんこ平野郷屋敷で食事&歓談する予定だ。ガイドさんに案内してもらった。江戸時代平野地区には八尾街道、亀瀬越奈良街道、古市街道、中高野街道、放出街道が通っていて、地区は賑わって、また綿で潤っていたらしい。村全体を土手で囲まれ13の門からしか出入り出来ず21時で門は閉まったらしい。関わりのある人物は平安時代の武将で征夷大将軍であった坂上田村麻呂がいる。次男の広野麿が、一族とともに開拓した所なので、「広野」が訛って「平野」になったと伝えられている。その麿の妹が坂上春子で桓武天皇の妃となって、この地で長宝寺を開基した。もう一人はこの地区で夏の陣にあたり、徳川家と戦った真田幸村だ。その足跡がある名所が紹介されている。「感風の町」として平野町ぐるみ博物館を設け、活性化を図っている。2時間半町を巡って、12時半終了した。
s-杭全神社 191111[杭全神社]
貞観4年(862年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂の孫で、この地に荘園を有していた坂上当道が牛頭天王(素盞嗚尊)を勧請し、祇園社(現・第一本殿)を創建したのが最初と伝えられている。
以降、建久元年(1190年)に熊野證誠権現(伊弉諾尊)(現・第三本殿)、元亨元年(1321年)には熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)(現・第二本殿)を勧請合祀し、後醍醐天皇から「熊野三所権現」の勅額を賜り、祇園社を中心としていた社を熊野権現の総社と改めた。
明治になって現在の社名杭全神社に改まった。そして、熊野権現社の総社とされていたのを改めて本来の祇園社を本社、熊野三所権現を雑社熊野神社とし、證誠殿を摂社とした。 (Wikipedia)

s-大念仏寺本殿 191111[大念仏寺本堂]
比叡山の天台宗の僧の良忍が、大治2年(1127年)鳥羽上皇の勅願により開創した。
摂津国住吉郡平野庄(現・大阪市平野区)の領主の平野殿坂上広野の私邸内に建立した融通念仏の道場の菩提所・修楽寺の別院が前身。
第6世・良鎮が寿永元年(1182年)に亡くなると、大念仏寺の流派では良い後継者に恵まれず寺勢は振るわなかった。
それでも、融通念仏の教え自体は嵯峨清凉寺、花園法金剛院、壬生地蔵院などで盛んに修せられていた。
元亨元年(1321年)、139年ぶりに第7世として法明が就き大念仏宗(融通念仏宗)を再興すると、大和国當麻寺で行われていた練供養をもとにした万部おねりを行い始めた。 本堂は、大阪府下最大の木造建築である。 (Wikipedia)

s-全興寺 191111[全興寺]
飛鳥時代、聖徳太子が当時野原だったこの地域に仏堂を建て、薬師如来像を安置したのが起源とされる。寺の名前の由来は不明であるが、この一帯が杭全荘と呼ばれた事から、「杭全を興す寺」から全興寺になったという説がある。「平野の町づくりを考える会」の事務局があり、平野町ぐるみ博物館を含め様々な町おこし活動を行っている。境内には地獄の様子を写した「地獄堂」や仏の世界を表現した「ほとけのくに」、町ぐるみ博物館の一つである「小さな駄菓子屋さん博物館」や子供の遊び場として利用される「おも路地」など、多種多様な施設があり、「大阪のおもろい寺」、「寺のディズニーランド」とも称されている。 (Wikipedia)

s-刀博物館 191111

かたな博物館

s-新聞販売店 191111

新聞販売店


s-杭全神社クスノキ 191111

杭全神社の大クスノキ

s-平野郷 191111

平野郷跡


s-シロシキブ 191111

シロシキブ(全興寺)

s-スイレン 191111

スイレン(全興寺)


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