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ならなぎ「西ノ京コース」

2月20日ならなぎ「西ノ京コース」に参加した。この時期にしては穏やかで気持ちよく回ることが出来た。西大寺を過ぎて菅原天満宮に詣でた。盆梅展をやっていて満開だった。喜光寺から垂仁天皇陵、薬師寺へと行き、最後に鳥を見に、大池へ回った。大池では期待したほど鳥がいなかった。もう飛び立っていたのだろうか。しかし南門の改修が終わっていて薬師寺の東塔、西塔それと若草山がきれいに見ることができた。西ノ京駅にて解散。15時



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「廃線跡を歩く」

2月14日西宮名塩から武田尾まで廃線跡の観察会に参加した。JR福知山線が廃線となり、2016年に自己責任のもと、ハイキングコースとして一般に開放されている。この時期の観察会だから当然冬芽の観察だ。煌びやかな花はないが、冬芽もじっくり見ていると個性があり、分かる人は一目で分かるらしい。6つのトンネルをくぐり、武田尾駅に到着。15時前解散した。
s-ヤマコウバシ 200214廃線跡

ヤマコウバシ

s-マルバアオダモ 200214廃線跡

マルバアオダモ


s-ボケ 200214廃線跡

ボケ

s-ダンコウバイ 200214廃線跡

ダンコウバイ


s-クリ 200214廃線跡

クリ

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鉄橋を歩く


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てんとう虫の会「飛鳥路を歩く」

2月10日てんとう虫の会で飛鳥路散策をした。橿原神宮前駅で集合した。昨年11月以来の再会である。少し天気模様が怪しい中、まずバスに乗ってバス停飛鳥で降りた。このコースは何度か歩いていて、久ぶりだが新たな発見を期待して参加した。コースは以下の通りだ。
飛鳥寺⇒亀形石造物・酒舟石⇒犬飼萬葉記念館⇒喫茶ことだま(昼食)⇒石舞台古墳⇒橘寺⇒亀石⇒鬼のまな板⇒高松塚古墳
時々雨が降って傘をさす場面が多くなったが、以前行ったことを思い出しながら、古刹を巡った。昼食をした店はスイーツが多くあり女性に人気のようだ。ランチも洋食だ。酒飲みにはちょっと場違いかな飛鳥駅から帰宅した。
s-飛鳥寺 200210

飛鳥寺

s-飛鳥大仏 200210

飛鳥大仏


s-喫茶ことだま

Cafeことだま

s-石舞台 200210

石舞台



s-橘寺 200210

橘寺

s-高松塚古墳 200210

高松塚古墳


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庶民の町富田と武士の町高槻を見学

2月7日富田と高槻をガイドさんに案内してもらった。午前は富田の町を、午後から高槻の町を見て回った。主な観光地は以下の通りだ。
富田:清鶴酒造、寿酒造、環濠、教行寺、清蓮寺、本照寺、普門寺、三輪神社
高槻:高槻城址、城跡公園、しろあと歴史館、歴史民俗資料館、 高山右近高槻天主教会堂
跡カトリック高槻教会、藤井竹外邸跡、野見神社、理安寺、光松寺、 本行寺

見るものが多すぎて混乱した。富田は酒造りの町、高槻は城下町跡がある武士の町だ。

s-普門寺[普門寺]
普門寺は、慈雲山と号して臨済宗妙心寺派に属し、釈迦如来と十一面千手観音を本尊とする。明徳年間(14世紀末)に僧・説厳が創建したと伝えられ、永禄年間(16世紀後半)には、室町幕府の管領細川晴元や14代将軍足利義栄が滞在、普門寺城とも呼ばれていた。柿葺き(こけらぶき)の屋根が美しい重要文化財の方丈(本堂)は、永禄期の建築で、襖絵は狩野安信の水墨画、欠損していた襖には南画の大家、直原玉青画伯の「淀川右岸天王山鵜殿前島菖景」が描かれている。

s-野見神社[野見神社]
明治元年の神仏分離により祭神の名を須佐之男命に変更した。さらに野見宿禰命を合祀して「野見神社」に改称した。このため、延喜式神名帳に記載された式内社野見神社の論社の一つとされているが、『大阪府史蹟名勝天然記念物』では、式内・野見神社に擬せるために野見宿禰を合祀して「野見神社」に改称したものであると断じ、式内・野見神社の後裔社は同じ高槻市内の上宮天満宮摂社「野身神社」であるとしている。明治4年、式内社であるとして県社に列格したが、明治5年11月に郷社に降格された。


s-清鶴酒造

清鶴酒造

s-寿酒造

寿酒造


s-教行寺

教行寺

s-三輪神社本殿

三輪神社本殿


s-光松寺

光松寺

s-本行寺四天王

本行寺四天王


s-高槻市立しろあと歴史館

高槻市立しろあと歴史館

s-理安寺

理安寺


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ならなぎ例会「佐紀盾列古墳群コース」

2月5日例会「佐紀盾列古墳群コース」だ。今日はリーダー担当だ。このコースのリーダーは初めての経験となる。このコースの特徴は春は植物、冬は鳥の観察が主であり、歴史の説明は他のコースに比べて少なく楽である。この時期にしては暖かく気持ちよく説明出来た。植物はまだ実を多く残していた。カナメモチ、ナナミノキ、シャシャンボ、ウメモドキ、クスノキ、ソヨゴなど。水鳥はミコアイサ、オシドリ、コガモ、ハシビロ、カルガモなど。自衛隊前で解散した。14時半。
s-アオサギ

アオサギ

s-オシドリ

オシドリ


s-コガモ雌雄②

コガモ雌雄

s-ハシビロガモ雌

ハシビロガモ雄


s-ハシビロガモ雄

ハシビロガモ雌

s-ミコアイサ雌雄

ミコアイサ雌雄


s-ウメモドキ 200205佐紀

ウメモドキ

s-カナメモチ 200205佐紀

カナメモチ


s-クスノキ 200205佐紀

クスノキ

s-ソヨゴ 200205佐紀

ソヨゴ


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興福寺東金堂「追儺式」

2月3日興福寺東金堂の「追儺式」を見に行った。18時半から始まるのだが、早い目に17時から待った。整理券をもらって入場したが、コロナウイルスのせいだろうか、入場者は少なかった。やっと予定の時間となり無病息災・延命長寿の為の薬師悔過の法要が始まった。45分間続いてパフォーマンスが次に続いた。3匹の鬼を毘沙門天が退治する「追い払い式」があった。19時半から「豆まき」が始まり、3袋ゲットした。今夜は気温がグッと下がりちらりと霰が降った。すぐ飲み屋に走り込んだ
東金堂

東金堂

追儺式

追儺式


法要をする僧侶

法要をする僧侶

鬼①

鬼①


鬼③

鬼②

毘沙門天

毘沙門天


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片埜神社から百済神社を訪ねて

1月31日枚方地区の歴史文化を求めて、ガイドさんから説明を受けながら巡った。コースは以下の通りだ。
らんぱん公園―片埜神社―牧野公園――九頭神廃寺跡― 車塚公園(防災公園)―牧野車塚古墳(昼食・トイレ)―渚の院跡―御殿山神社(階段多い) ―御殿山生涯学習美術センター(トイレ)-土塁跡(禁野火薬庫)―平和ロード―百済寺跡 ―百済王神社
枚方は大きな街であるが、歴史は残っており、これからも子孫に受け継いでいくことが大事だと思った。百済寺が大阪城に並んで特別遺跡になっているのは知らなかった。7.5kmほど歩いて結構疲れた。14時半解散

s-片埜神社本殿 大阪府有形文化財

[片埜神社]

当社は「延喜式」神名帳に載る式内小社で、その縁起は約2000年前、垂仁天皇の御代に出雲国の豪族野見宿禰が当麻蹴速との相撲に勝ち、その恩賞に河内国を拝領し、出雲の祖神速須佐之男命を奉祀して土師氏の鎮守としたのを草創とする。
その後、欽明天皇(在位:539~71年)の勅願をもって「片野神社」と称し、960年(天徳4年)野見宿禰の後裔である菅原道真を併祀している。 平安時代は官幣社として社運隆盛を極めたが、戦国の争乱で幾度かの兵火に遭い荒廃していたのを、豊臣秀吉が大坂城築城の際に、大坂の東北にあたる当社を錦城の鬼門鎮護の社と定め修築、1602年(慶長7年)には豊臣秀頼が片桐旦元に命じ、本殿、南門、経堂、別当坊舎などを修築、造営した。 江戸時代は専ら「(河内)一之宮」、「一宮牛頭天王」と称し、 河内国北部地方における鬼門方除け・家相方位の守護に霊験あらたかな神様として広く知られ崇敬を集めた。片埜神社の社名が復活したのは明治以降である。

s-百済寺跡

百済寺跡

中宮にある特別史跡百済寺跡は、8世紀後半に百済王の末裔である百済王氏(くだらのこにきしし)が、難波からこの地に移り、一族の氏寺として建立した寺跡と考えられている。昭和16年に国の史跡に指定され、昭和27年3月に特別史跡となった。府下で大坂城跡とならぶ特別史跡でありながら、老松や雑木が繁って立ち入る人もなく、熊笹の合間に礎石が見られる荒廃ぶりだったが、全国でも初めての史跡公園として、昭和41年から2年間かけて市民の憩いの広場に整備された。
寺院の遺構が復原された公園には、礎石などがよく残り、双塔式の美しい伽藍配置を浮き立たせ、金堂にとりつく回廊跡には灌木が植えられ、四季折々の風情が訪ねる人に潤いを与えている。自然の老松や補植された黒松・赤松が濃い緑で遺構を包んでおり、松の梢をわたる風は、訪れる人々に、ありし日の七堂伽藍の面影を語りかけるようだ。平成17年度から百済寺跡再整備のための発掘調査が行われ、官寺的施設を備えた格式高い寺であることがわかってきた。

s-阿弖流為の碑 牧野公園

阿弖流為の碑 牧野公園

s-御殿山神社本殿

御殿山神社本殿


s-渚の院跡

渚の院跡

s-片埜神社東門 府指定文化財

片埜神社東門 府指定文化財


s-蟇股彫刻 太閤桐

片埜神社蟇股彫刻 太閤桐

s-百済王神社

百済王神社


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