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ならなぎ例会「ならまちコース」

10月20日ならなぎ例会に参加した。今日は新コース「ならまちコース」が実施された。初めてのコースで参加者が多かった。具体的なコースは次の通りだ。
奈良町天神社→瑜伽神社→旧大乗院庭園→福智院→今西書院→十輪院→御霊神社→元興寺塔跡→庚申堂→奈良町資料館→元興寺
3班に分かれリーダーが案内した。天神社からは頭塔を見る事が出来る。瑜伽神社はモミジの木が沢山あり、晩秋は見事だろうと思われる。玄昉の福智院を過ぎ、河島英五の墓がある十輪院、桓武天皇の勅願社である御霊神社を巡り、元興寺塔跡で昼食を摂った。最後は元興寺を拝観した(今後の例会では拝観を省く)。以前「艶めかしい石仏」を見たと会員から話を聞き、探し回って発見した。午後からは興福寺の2019年特別公開「南円堂・北円堂」が行われており拝観した。15時終了
何回も下見でこのコースを回っているが、知らなかった事だが、奈良町天神社から瑜伽神社に行く途中に「温石」という料亭がある。あまり目立たない店だが、ミシェラン2つ星に登録されている。禅僧が温めた石を懐中に抱く事で温かさを感じる。そのことで空腹や寒さをなだめたという。そこに端を発して茶の席で出す一時の空腹しのぎ程度の軽い料理の事を指したり、あるいは客人をもてなすための料理を懐石料理と呼んだとの事だ。一度行って見たい

s-天神社鳥居 ならまち191020

天神社

s-温石 ならまち191020

料亭温石


s-頭塔 ならまち191020

頭塔

s-瑜伽神社 ならまち191020

瑜伽神社


s-福智院 ならまち191020

福智院

s-十輪院 ならまち191020

十輪院


s-御霊神社 ならまち191020

御霊神社

s-元興寺極楽堂 ならまち191020

元興寺極楽堂


s-元興寺行基葺 ならまち191020

元興寺行基葺

s-艶めかしい石仏 ならまち191020

艶めかしい石仏


ならなぎロゴ
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「舞鶴バスツアー」

10月11日「舞鶴バスツアー」に参加した。台風が近づいていたので、天気を心配したが、曇り時々晴れの状況で大丈夫だった。スケジュールは下記の通りだ。
西梅田発(8:00)~トイレ(休憩15分)~10:30 舞鶴東 IC~10:45 着引揚記念館 (4班に分れ案内 50分)12:00~12:10 着赤れんが博物館は外から赤れんがパークを案内~ 12:40 昼食(45分)13:25~歩いて案内パーク駐車場 14:05~14:25五老ヶ岳 14:55 ~15:05 ガイド解散~15:30 舞鶴西IC~トイレ(休憩 15 分)~西梅田帰着予定 18:30 頃
トイレ休憩は京丹波PAで、そこで黒豆が売っていたので買った。予定通りにスケジュールをこなした。舞鶴にこんな観光があったとは、知らなかった。戦中、戦後の厳しさを思い知らされた。近くに海上自衛隊北吸係留所があり護衛艦など普段見ない船が見られた。

s-舞鶴引揚記念館 191011舞鶴バスツアー[舞鶴引揚記念館]昭和20年(1945年) 第二次世界大戦が終結し、旧満洲(現・中国東北部)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に約660万人もの日本人が残された。これらの方々を速やかに日本へ帰国させなければならなくなり、“引き揚げ”が開始された。舞鶴では昭和20年(1945年)10月7日に最初の引揚船“雲仙丸”が入港してから昭和33年9月7日の最終引揚船“白山丸”の入港まで国内で唯一13年間にわたり約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れた。

s-赤レンガパーク 191011舞鶴バスツアー[赤レンガパーク]1901年(明治34年)の旧海軍舞鶴鎮守府の開庁以降、明治期から大正期にかけて建設された赤れんが建造物が、数多く残っている。なかでも北吸地区の赤れんが倉庫群は、全12棟のうち8棟が国の重要文化財に指定されるなど、わが国でも有数の歴史的価値の高い赤れんがの建築群だ。舞鶴鎮守府の軍需品等の保管倉庫として、明治33年(1900年)に着手されて以来、大正10年(1921年)までに次々と建築された。中でも明治期のものは、明治34年~36年の3年余りの短い期間に建てられて、有名な日本海海戦が行われたのが明治38年(1905年)だから、まさに当時の日本の国勢が伺えるといえる。

s-赤レンガ博物館 191011舞鶴バスツアー

赤レンガ博物館

s-赤煉瓦倉庫伍号館 191011舞鶴バスツアー

赤煉瓦倉庫伍号館

s-赤レンガパーク 191011舞鶴バスツアー

赤レンガパーク


s-ミサイル護衛艦「あたご」 191011舞鶴バスツアー

ミサイル護衛艦「あたご」

s-多用途支援艦「ひうち」 191011舞鶴バスツアー

多用途支援艦「ひうち」

s-五老ヶ岳公園からの眺め 191011舞鶴バスツアー

五老ヶ岳公園からの眺め


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特別例会「糞虫について」

10月5日特別例会の日だ。年に1回我々の活動に関した講師をお招きしフィルドワークしたり、講義を受けたりしている。今年は糞虫館館長の中村氏にお願いした。糞虫は奈良公園には無くてはならない存在で、鹿の糞を食べてくれる。それで1日1トンも排泄される糞がなくなり、綺麗な公園となっている。子供コースで綺麗な色をしている糞虫の仲間「ルリセンチコガネを探そう!」が人気だ。午前は糞虫を飛火野で探した。知らなかったが、50種類ほど奈良公園にいるらしい。ルリセンチコガネ(オオセンチコガネ)しか見たことがなかったが、いるのだ。3mm~5mmのがいる。これでは分からない。糞の中に入り込んでいた。本日探せたのは「オオセンチコガネ」「センチコガネ」「カドマルエンマコガネ」「ナガスネエンマコガネ」「チビコエンマコガネ」「マグソコガネ」「ウスイロマグソコガネ」「スジマグソコガネ」だった。午後からスライドで詳細を教えてもらった。15時終了
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説明風景

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糞虫探し



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午後の講演

s-オオセンチコガネセンチコガネ

オオセンチコガネ&センチコガネ



s-カドマルエンマコガネ

カドマルエンマコガネ

s-マグソコガネ

マグソコガネ


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有馬富士自然観察会

10月4日「有馬富士自然観察会」に参加した。未明まで雨が降っていたが、止んでくれて良かった。新三田駅で集合して、4班に分かれ時間をずらせて散策した。今日は山草がメインのため、いたるところに繁茂し、遅々として進まなかった。それを予想してのことであろう。行程は下記の通りで距離は4kmしかない。
JR新三田駅 →福島地区 →大池川沿いの道 →八幡神社 →流紋岩の露頭 →かやぶき民家(昼食) →有馬富士公園自然学習センター(解散)
多くの花を勉強したが聞いたことのないのが多かった。帰って整理したが、聞き間違えたのか何点か同定できない花があった。14時半ごろ自然学習センターで解散。そこから30分掛って新三田駅に到着した。

s-有馬富士

有馬富士

s-有馬富士観察風景

有馬富士観察風景


s-スベリヒユ 有馬富士191004

スベリヒユ

s-ヒロハフウリンホウズキ 有馬富士191004

ヒロハフウリンホウズキ


s-ワレモコウ 有馬富士191004

ワレモコウ

s-アキノウナギツカミ 有馬富士191004

アキノウナギツカミ


s-オランダフウロ 有馬富士191004

オランダフウロ

s-ゲンノショウコ 有馬富士191004

ゲンノショウコ


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長岡京市歴史散策

9月27日自然と文化科歴史散策に参加した。ボランティアガイドさんにお願いしているので、雨模様が心配だった。しかし皆の日ごろの行いが良いので無駄な心配であった。阪急長岡天神駅で下車し、順次途中開田城の話を聞きながら長岡天満宮境内で集合した。
コースは下記の通りだ。
阪急長岡天神駅西口~開田城址~長岡天満宮~<発見の地> ふれあい町屋~神足神社・神足遺跡~勝竜寺城公園(昼食)~ 恵解山古墳~中山修一記念館 ~サントリービール工場(自由参加)
長岡天満宮を観光してから、JR長岡京まで歩き、途中の名所をガイドしてもらった。昔は「神足駅」があったが、今は改名され「長岡京駅」となっている。京都人としては昔の事しかしらずビックリだ。稀有な運命であったガラシアで有名な勝竜寺城公園で昼食を頂き、古墳と長岡京を発見した記念館を訪れた後、ビール工場にたどり着いた。午後からは暑さの中、ビールしか念頭になかったであろうが、随分待たされた。それゆえ試飲3杯のビールは価値以上の旨さであったであろう。しかも美人のガイドさんがお供いただいて・・・呑み助にしか分からない午後だった。

s-長岡天満宮社殿[長岡天満宮]京都府長岡京市にある神社(天満宮)。旧社格は府社。市民からは「天神さん」と呼ばれ親しまれている。 長岡京市はかつて山城国乙訓郡長岡と呼ばれ、延暦3年(784年)桓武天皇が平城京から都を移した長岡京が造営された所であり、長岡天満宮は都の西南の外れに位置している[注釈 1]。文化事業の一環として4月下旬には「霧島コンサート」、8月下旬には「宵宮コンサート」が開催される。同コンサートはクラシックの生演奏に身近にふれる機会として、音楽好きの市民に親しまれている。

s-勝竜寺城跡[勝竜寺城跡]勝龍寺城は暦応2年(1339)、足利尊氏の命により細川頼春によって築城さた。 天正6年(1578)、明智光秀の娘、玉(後のガラシャ夫人)が、細川忠興に嫁ぎ、2年間、この城で幸福な新婚時代を過ごした。
本能寺の変の後、山崎の合戦では光秀がこの城に本陣を構えた。 勝竜寺城公園は平成4年(1992)、勝龍寺城跡に造られた都市公園で、「日本の歴史公園100選」にも選ばれている。
管理棟には資料展示室が設けられています。 毎年11月の第2日曜日、玉の輿入れ行列の再現などによる「長岡京ガラシャ祭」がこの公園を中心に盛大に行われる。

s-中山修一記念館[中山修一記念館>中山修一氏は、長岡京の発掘調査を契機に、長岡京域周辺にあまねく足を運び、乙訓地域の名所や旧跡をはじめ、地域の歴史をまとめた。昭和29年に長岡京の発掘調査に初めて着手し、翌年に朝堂院南門(ちょうどういんなんもん)跡を発見。それまで文献上の存在だった長岡京が実在したことを証明した。以後、小安殿(しょうあんでん)、大極殿(だいこくでん)跡など重要な遺構を次々と発掘し、長岡京中枢部の全容を明らかにした。長岡京の歴史解明に一生涯を捧げ、多大な業績を残した故中山修一氏のご遺族の好意により寄付された土地及び建物を利用し、氏の足跡と発掘調査研究の成果を一目で見られる施設として整備し、平成14年に開館した。


s-長岡天満宮 八条池

長岡天満宮 八条池

s-恵解山古墳

恵解山古墳


s-サントリー京都ブルワリー工場

サントリー京都ブルワリー工場

s-試飲風景

試飲風景


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