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~奥びわ湖~隠れ里へ

自然と文化科の一泊旅行に参加した。コースは次の通りだ。
一日目/山門 やまかど 水源の森へ(西梅田発~名神・湖西道路(桂川 PA トイレ休憩)→道の駅 追坂峠にて昼食を~
11:00~12:30 弁当持参も可、食事処もあり!→13:00 水源の森着~16:00 まで→宿舎へ
二日目/9:15 出発 竹生島⇔菅浦の湖岸集落~12:30 昼食(つづらお)~メタセコイア並木道へ→帰阪

いつものように西梅田ダイワハウス前を8時に出発して、目的地に予定より随分早く到着した。無理を言って12時15分から案内をしてもらった。4班に分かれて行動をした。かなりハードなコースでアップダウンがあった。3.5kmを3時間かけて回った。脱落者も発生した。丁度端境期の時でササユリなど名物の花がなかった。しかし植生豊かで皆満足している様だった。シロモジやタンナサワフタギなどが多く見られた。17時前に宿に着きゆっくりとした。3次会を経て就寝
二日目は国宝がある竹生島と菅浦の村落見学をして、帰路途中にメタセコイア並木で写真撮影をして、帰阪した。17時

s-IMG_0698.jpg[山門水源の森]
滋賀県北部の長浜市西浅井町 山門(やまかど)にありかつては山門、中、庄の3集落の共有林で、炭や薪を作るために利用されてきた里山である。里山の森に囲まれて、滋賀県内最大級の湿原があり、特徴ある生態系が広がっている。 1960年代まで生産されていた炭は京阪神に出荷され、この地域の生活を支えてきて、その当時は森もよく手入れされていたが、その後森は放置され、里山としての環境は失われていった。湿原は地震による断層活動で形ができ、起源は約4万年前にさかのぼりる。ミズゴケが堆積した泥炭層からなり、強い酸性と貧栄養の湿原で、氷河期から生きるミツガシワをはじめとして、クサレダマ、トキソウ、サギソウなど貴重な植物の宝庫である。

s-ササユリⅡ 190522水源の森

ササユリ

s-シロモジ 190522水源の森

シロモジ

s-タニウツギⅡ 190522水源の森

タニウツギ


s-タンナサワフタギⅡ 190522水源の森

タンナサワフタギ

s-ホウノキ花 190522水源の森

ホウノキ


s-久夫須麻神社[国宝 久夫須麻神社]
社伝では、雄略天皇3年に浅井姫命を祀る小祠が建てられたのが創建という。
『近江国風土記』には、夷服岳(伊吹山)の多多美比古命が姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、湖に落ちた首が竹生島になったという記述がある。一説には首が沈む時に「都布都布(つふつふ)」という音がしたので「都布失島」という名前になったとも、最初に生えたのが竹であったことから「竹生島」という名前になったともいう。

s-宝厳寺本堂

宝厳寺本堂

s-舟廊下

舟廊下

s-三重の塔 竹生島

三重の塔


s-四足門[四足門]
菅浦の地には、奈良時代恵美押勝(えみのおしかつ)の乱で道鏡や孝謙上皇に負け、廃位になった淳仁(じゅんにん)天皇が住んでいたという伝説が残っている。淳仁天皇は、幽閉地で憤死したといわれ、須賀神社の裏山に淳仁天皇の御陵という塚が残っている。菅浦の村に入る東西の道には、四足門と呼ばれる茅葺きの門が残っている。かつては、ここで村に入ってくる外来者の監視にあたったと言われている。また、鎌倉時代から明治時代初めにかけて作られた村落や漁村生活を記した菅浦文書が残されており、平成30年に国宝に指定された。
<国宝>菅浦文書65冊、菅浦与大浦下庄堺絵図(須賀神社) 木造阿弥陀如来立像(阿弥陀寺) 

s-須賀神社Ⅲ

須賀神社

s-メタセコイア並木道

メタセコイア並木

s-旅館つづらお

旅館つづらお


ならなぎロゴ
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ならなぎ例会「春日奥山コース」

5月20日ならなぎ例会「春日奥山コース」に参加した。このコースは植物を熟知してなければガイドは務まらないコースで、リーダーをしてもらう人は限られている。勉強会をしてガイド育成が急務である。それ用の植物マップを作成中であるが作業が大変だ午前・午後とも降水確率が高く十分は雨対策をして出かけた。水谷神社をスタートして山頂に至り、三笠山を下山して南ゲートで解散する。雨模様であるので早い目の観察となったが、ある程度植物の位置を確認することが出来た。まだ何度もコースを回らなければならないだろう。雨は幸いにも終わり間近まで待ってくれた。15時終了
s-カナメモチ 190520春日

カナメモチ

s-ニワトコ 190520春日

ニワトコ


s-マユミ

マユミ

s-エゴノキ 190520春日

エゴノキ


よりみちクラブ 古代の宝庫!飛鳥を訪ねる

5月14日第15回よりみちクラブが開催された。10時すぎ飛鳥駅で集合した。総勢23名が集まった。コースは下記の通りだ。誰もが一度は行ったことがあるコースだが、残念ながらよりみちクラブの宿命である「雨」であった。しかしベテランのガイドさんの案内であるので多くの参加があった。
飛鳥駅 → 欽明天皇陵・吉備姫王墓(猿石)→ 飛鳥歴史公園・高松塚古墳     → 天武・持統天皇陵 → 亀石 → 橘寺 → 石舞台(12時頃)→ 食事 →   飛鳥板葺宮跡 → 酒船石 → 飛鳥寺 → 飛鳥資料館 → 甘樫丘 →     橿原神宮前駅 解散(16時45分頃) 
各名所で拝観料を払って入場した。雨でスケジュールが押していて橘寺で食事をさせてもらった。最後は雨のため早い目に終わり甘樫丘からバスで橿原神宮駅まで行って15時半終了した。皆様お疲れ様でした。
s-高松塚古墳[高松塚古墳]
直径18m、高さ5mの小さな円墳。昭和47(1972)年3月、石室内に彩色壁画(国宝)が発見され、戦後最大の発見として大きな注目を集めた。石槨内部には古代中国道教の影響を受け、東壁には青龍と日像、西壁には白虎と月像、北壁には玄武、東西の両脇には人物像、天井には星宿図が描かれている。被葬者は7~8世紀の皇子とみられる長身の男性とされるが、詳細は分かっていない。古墳内部は保存上密閉されているため、見学はできない。隣接する高松塚壁画館で、精巧な模写や石槨の模型が展示されている。

s-橘寺[橘寺]
創建年代不詳。文献に初めて登場するのは天武9年(680)。聖徳太子誕生の地といわれ、太子建立の7カ寺の一つ。8世紀には66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとっていた。現在は江戸期に再建された本堂(太子殿)など、わずかな諸堂を残すのみとなっている。室町時代の聖徳太子坐像(重要文化財)をはじめ、善悪2つの顔が刻まれた二面石などがある。境内には3つの副柱の穴をもつ塔心礎が残る。


s-飛鳥寺[飛鳥寺]
推古4年(596)、仏教を保護した蘇我馬子の発願により日本初の本格的寺院として完成した。三金堂が塔を囲む大寺で、法興寺 元興寺とも呼ばれる。平城遷都に伴い奈良の地に新たに元興寺が建立されて以後は、本元興寺と呼ばれた。鎌倉時代に伽藍の大半を焼失した。現在の本堂は江戸時代に再建されたもの。本尊の銅造釈迦如来坐像(重要文化財)は創建時、飛鳥時代の作で日本最古の仏像。飛鳥大仏の名で親しまれる。寺の西側には蘇我入鹿の首塚と呼ばれる五輪塔が残っている。境内に山部赤人の歌碑がある。

s-酒舟石[酒舟石]
小高い丘の上にある花崗岩の石造物。主軸はほぼ東西で、現存の長さ約5.5メートル、幅(南北)約2.3メートル、厚さ約1メートルであるが、北と南の一部が欠けている。上面に皿状のいくつかのくぼみとそれを結ぶ溝が刻まれている。酒を造る道具、あるいは薬などを造るための道具とも言われ諸説あるが定かではない。近くに水を引いたと見られる土管や石の樋も見つかっていることから庭園の施設とも言われている。 後世江戸時代に高取城を築城するため石垣用の石材として利用しようとしたと思われる石割用の石鑿の跡が見られ、上面の造形が欠損している。 1927年(昭和2年)4月8日、国の史跡に指定された。

s-飛鳥板葺宮跡[飛鳥板葺宮跡]
板蓋宮は、7世紀半ばの皇極天皇の宮殿で、中大兄皇子(天智天皇)らによって蘇我入鹿が暗殺された乙巳の変(大化の改新)の舞台。皇極天皇、斉明天皇(皇極天皇重祚)の皇居跡で、伝飛鳥板蓋宮跡とされていたが、継続的な調査で、飛鳥板蓋宮だけでなく、飛鳥岡本宮(舒明天皇)や、後飛鳥岡本宮(斉明天皇)、飛鳥浄御原宮(天武・持統両天皇)など、複数の宮が継続的に置かれていたことが判明し、平成28年に、名称が「飛鳥宮跡」に改められた。現在復元されている石敷広場や大井戸跡は上層の飛鳥浄御原宮のもの。

s-イチョウ雌蕊 山野辺の道190514

イチョウ雌花

s-トキワサンザシ 山野辺の道190514

トキワサンザシ

s-マユミⅡ 山野辺の道190514

マユミ


ならなぎロゴ
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イチゴ会一泊二日テニス合宿

5月12日、13日いちご会でテニス合宿した。大層なタイトルだが素人が一人の先生に教えてもらいながら遊んだだけだ。一日2時間だけやる予定だったが、はまってしまって、翌日早朝からすることになった。一日目はラケットに当たるかが心配であったが、なんとかラケットに当たるようになった。それに気分良くしたのか次の日もするという気分になったらしい。ホテルウウェルネス大和に13時すぎにチェックインして14時からテニスをした。ベテランが一人いてその方にやり方を教わり総勢8人がプレイした。楽しかったが、足腰が痛い何とかごましながら2時間を終えた。予定ではこれで終わるはずであったが、明日することになった。2次会は早々に終わって明日の準備に掛った。7時から朝食、30分で終えテニスコートへ。9時過ぎようやく終了した。昔のクラブのボロボロになった日を思い出した。談山神社で安らぎをもらって昼は桜井のすし政でいただき、昼から纏向遺跡を見て終了した。青春に帰った2日であった。
s-テニス

テニス風景

s-談山神社

談山神社


s-談山神社本殿

談山本殿

s-談山神社権殿

談山神社権殿


s-十三重塔

十三重塔

s-纏向遺跡Ⅱ

纏向遺跡/p>



大阪船場100年名家を訪ねて

5月10日自然と文化科の例会で、午前はIPS細胞の興味ある講演を聴講してから、午後室外活動となった。コースは以下の通りである。
難波橋~大阪取引所~新井ビル~野村ビル~小西家~青山ビル~伏見ビル~浪速教会~オペラドメーヌ~愛珠幼稚園~適塾~中央公会堂 ~解散 
タイトルから分かるように大阪の中心部に古い建物が存在していて、そこを訪問するイベントだ人通りが多いので少人数に分けて6班での行動となった。いつもは気にせず歩いているが、多くの対象建築物がある。小西家は中を案内してもらった。知らない事が沢山あった。コースには入っていないが、昔なつかしい散髪屋があり、1930年築で一番興味深かった


s-大阪中央公会堂[大阪中央公会堂]
大阪・中之島の緑と水に囲まれ赤レンガが映える大阪市中央公会堂は、文化、芸術、社会活動の場として利用されているレトロ建築であり、大阪城天守閣とともに大阪市のシンボルでもある。建物は鉄骨煉瓦造の地上3階、地下1階。ネオ・ルネッサンス様式を基調としつつ、バロック的な壮大さを持ち、細部にはウィーン分離派様式も取り入れられている。アーチ状の屋根と、洋画家の松岡壽によって天地開闢が描かれた特別室の天井画・壁画が特徴だ。竣工は大正7年(1918)、建設費の100万円(現在の50億円)は、当時の株式仲買人の岩本栄之助の寄付によるもの。設計者は明治時代の建築界を代表した岡田信一郎と辰野金吾ら。

s-旧小西家住宅[旧小西家住宅]
薬問屋街の道修町に残る旧小西家住宅は、近代大阪の町家を集大成した和風建築(国の重要文化財)。小西家は、初代儀助(ぎすけ)が安政3年(1856)、京都から大阪道修町に出て薬種業・小西儀助商店(現・コニシ株式会社)を創業したことに始まる商家。現在の建物は明治36年(1903)から3年かけてつくられたもの。主屋裏には奥庭を挟んで衣装蔵および二階蔵がある。衣装蔵は明治45年(1912)の上棟で三階建の土蔵造。建築材も良材を使い、シンプルながらも各部屋や茶室などには凝った意匠や工夫の跡が見られる。居住部の台所の土間には、家族、従業員ら約50人の食事を賄った大きなかまどがある。サントリーの創始者鳥井氏がここで3年ほど丁稚見習いをしていたそうな。

s-日本浪花教会

日本浪花教会

s-適塾

適塾緒方洪庵像


s-大阪取引所Ⅱ

大阪取引所

s-新井ビル

新井ビル


s-愛珠幼稚園

愛珠幼稚園

s-吉田理容所

吉田理容所


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ならなぎ例会「飛火野コース」

5月5日ならなぎ例会が開催された。今日は「飛火野のコース」だ。天気良く暑かった。フジを見る絶好の機会で多くの会員が出席した。4月27日に「フジを見に行こう」を実施したが、その時も7~8分咲きで綺麗だった。今日はピークは過ぎた模様だがまだまだ見ごたえがあった。南円堂の八重フジ、飛火野のフジ、特に芋畑のある飛火野のフジがすごかった。このコースは特に歩く距離が長いがフジを見ると疲れが吹っ飛んだ。大御堂のヒトツバタゴが満開だった。15時予定通り終了。
s-飛火野フジ 奈良公園190505

飛火野のフジ

s-南円堂の八重フジ

南円堂の八重フジ


s-春日大社砂づりのフジ 奈良公園190505

春日大社砂づりのフジ

s-シロフジ 奈良公園190505

シロフジ


s-ムクノキ花 奈良公園190505

ムクノキの花

s-ヒトツバタゴⅣ 奈良公園190505

ヒトツバタゴ


s-ヒトツバタゴⅤ 奈良公園190505

ヒトツバタゴⅡ

s-カラタチ実 奈良公園190505 (2)

カラタチ


s-タチバナ 奈良公園190505

タチバナ

s-ムクノキ花 奈良公園190505

ムクノキ


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